|
安堵
「バカ、やめろ……石になっちまうぞ!!」 薄暗い部屋の中で青年の声が大きく響いた。 だが、彼の者はその言葉を聞いていなかった。 否。 "聞いていなかった"のではなく、"聞くことができなかった"のだ。 その者は、固く冷たい石になっていたのだから。 石の瞳からこぼれ落ちる涙。 この者は泣いたのだ、珠魅のために。 珠魅を想い、一滴の涙を落とした。 "珠魅に涙する者すべて石と化す" この言い伝えを無視し、この者は泣いた。 珠魅のために 珠魅を想い―――― 涙はこぼれ続ける。 数分前までは、人間だったモノの瞳から。 涙はひとつずつ落ちては消え、落ちては消える。 そして、最後の一粒が零れ落ちた時――――…… ◆ 三段重ねのケーキのようなその都市は、人知れぬ辺境で静かに煌めいていた。 ここで暮らすは珠魅族。己自身の核とした宝石を、胸に抱く美しき種族。 その美しさに目が眩み、珠魅の命を奪った者は山ほど。 いつからか涙を流せなくなっていた珠魅族。 しかし珠魅族はひとりの人物によって涙を取り戻した。 救われた珠魅族たちは、その人物を"英雄"と呼んだ。 そう、"珠魅を救った偉大な英雄"と――――― 「こんなところかな…」 輝石の座に属すルビーの珠魅、ルーベンスは羽根ペンを持つその手を止めた。 「珠魅の歴史の書物をまとめるのも大変なんですね」 よっと、とかけ声をあげて、エメラルド4姉妹の末っ子のエメロードは 何冊も積まれた本を机の上にどさりと置いた。本から多少埃が舞い上がる。 「ああ…。しかし、君の騎士には驚かされたよ。 サンドラに狩られたはずの我々を生き返したうえに、"涙"まで取り戻させたのだからな」 「あたしの騎士ですもの!"涙"を取り戻す、っていう狙いは先を越されましたけど…」 「なるほど、それで少し不機嫌だったのか」 エメロードの言葉に小さな笑いを返すと、彼は何冊も積まれた本の上に手を置き言った。 「しかしすごい量だな…いったいどこから持ってきたんだ?」 「えっとぉ…」 彼の問いに言葉を濁らせると、エメロードはきょろきょろと辺りを見回して誰もいないことを確認する。 それでも念のためルーベンスの耳に唇を近づけ、囁いた。 「実は…ディアナ様の目を盗んで、ここを抜け出してジオの図書館に行ったんです」 その言葉に彼が眉をひそめたのを見て、エメロードは慌ててつけ加えた。 「ま、まだ危険なことくらいわかってますよ!?…でも、先生を安心させたくて…」 普段、滅多に変わらないルーベンスの表情が揺れ動いた。 その昔、煌めきの都市が滅びた時エメロードは三人の姉たちとはぐれてしまったのだ。 それでずっと魔法都市のヌヌザックという教師に預けられていたのだが――――― ある日、当時の"英雄"と出会ったエメロードは自分の騎士役を頼んだのだ。 離ればなれになった、核だけになってしまった姉たちを捜すために。 しかし全員揃った時、隙を取られサンドラに狩られてしまった。 ―――――"英雄"は、彼女を守り切れなかったことをとても悔やんでいたという。 それでも"英雄"の涙によってエメロードは生き返った。もちろん彼女の姉たちも。 けれどそれから、一度もここを出ていない。ヌヌザックとも会っていない。 きっと彼はまだエメロードは死んだものと思い込んでいるだろう。 彼は彼女の恩師であり命の恩人。それだからこそ無事を伝えたかったのだ。 「…そうか…」 「このことはぜーったいに秘密ですよ!ディアナ様にも姉さまたちにも他の人にも!」 「もうとっくにバレていますよ、エメロード」 ぴしゃり、と背後で冷たい声がした。 二人が恐る恐る振り向くと―――――珠魅の族長、ディアナがそこに静かに佇んでいた。 「ディ、ディアナ…」 「な…なななななななななんであたしが抜け出したことがわかって…?」 「すまないエメロード。ほうってはおけなくてな」 「パール様!」 ディアナの横にもう一人、黒真珠を核とする女騎士が立っていた。 真珠姫の半身、レディパールだ。 「もし今日がジンの日でなければ見逃したのに…」 エメロードは思い出した。彼女は普段真珠姫となって瑠璃の傍にいるが、 ジンの日だけはレディパールとなり、珠魅のシンボルである蛍姫の護衛に努めていることを。 「私が少しの間蛍姫さまを側近の者たちに任せ、入り口付近を見回りに来た時 たまたまお前を見つけたのだ。運が悪かったと思ってあきらめろ」 「そ、そんなぁ…」 「あなたはまだわかってはいないようですね」 ディアナがエメロードの肩に手を置いた。 「人間が皆良い者たちとは限りません。まだ外には危険が多すぎるのですよ。 もし外に外出したいのであれば私に断り、核を隠してから行きなさい。わかりましたね?」 「…はぁい…」 返事はしたものの、渋々という感じでエメロードは小さく頷いた。 「エメロード、こっちにおいで。武術の稽古をつけてやろう」 「はい!パール様、ありがとうございます!」 ディアナの突き刺す視線からエメロードを助けるようにレディパールが微笑んだ。 するとさっきまでの彼女は何処へやら。いつもよりいっそう元気になってしまい、 レディパールを軽く追い越して稽古場へと足を急がせていった。 「やれやれ…先程泣いていたカラスがなんとやら、だな」 「パールもあなたも甘やかしすぎです。あれでは反省しませんよ」 「お前も少しは頭を柔らかくしろよ。それにどっちにしろ、パールにこってり絞られるだろう」 ルーベンスの的を射た意見にディアナは小さく笑い、青い青い空を見上げた。 ゆっくりと白い雲が流れていく。まるで時の流れのように。 この退屈な退屈な平和が、いつまでも続けばいいとディアナは思った。 |